旭市・海上町・飯岡町・干潟町紹介サイト

参考文献:Wikipedia

千葉県旭市

千葉県の北東部にある市。人口は約7万人。九十九里浜の最北端に面しており、夏季には海水浴客で賑わう。

 

千葉県の北東部に位置し、東京都心から80km圏、県都千葉から北東に約50kmにある。南部は九十九里浜に面し、北部に下総台地が広がる。市の中央部を東西に総武本線と国道126号が通る。

 

「旭」という市名(最初は町名)は、一説には「旭将軍」と呼ばれた木曾義仲の末裔とされ、この地で没した木曾義昌を詠んだ「信濃より いつる旭をしたひきて 東の国にあととどめけむ」から採られたとされる。

 

この歌は、弘化元年(1844年)木曾氏末裔を称する芦原検校(木曾義長)が、東漸寺において営んだ「木曾義昌公250回忌」において京都の国学者野々口隆正が詠んだ追悼歌で、この時に寄せられた追悼歌400首を収めたのが、市の指定文化財ともなっている「慕香和歌集」である。

 

東北地方太平洋沖地震で津波が押し寄せ、千葉県下の犠牲者数では最大となる13名が犠牲となっている。

 

ヘアリプロ


千葉県海上郡海上町

千葉県の東部、海上郡(かいじょうぐん)にあった町。約半分が「椿海」という湖であった。

 

・ 面積:28.59km2
・ 人口:11,153人
・ 世帯数:3,385世帯
・ 人口密度:390.10人

 

(以上、2005年4月1日現在)

千葉県海上郡飯岡町

千葉県海上郡にあった町で、九十九里浜最東端でもあった。

 

17世紀の終わりには、廻船が、九十九里浜最西端の太東岬を目印に帆を降ろして飯綱権現に拝礼し、さらに刑部岬でも海難予防としてと帆を降ろしたことから、太東岬の飯縄寺のご本尊である飯綱権現と区別する意味で、刑部岬も飯岡と呼ばれるようになった。なお、廻船が飯縄寺の飯綱権現に拝礼するのは、廻船の航路を発見した土方の七兵衛(河村瑞賢)が、飯綱の兵法のお陰で明暦の大火で江戸城と城下を焼失し、再建のための木材を買占めて大儲けをする事ができたからだ。

 

夏には海水浴やサーフィンで賑わう。

千葉県香取郡干潟町

千葉県香取郡にあった町。2005年7月1日に(旧)旭市、海上郡海上町・飯岡町と合併し旭市となった。

 

江戸時代に椿の海の干拓によってできた干潟八万石にあった町であり、農協(JA) の祖、大原幽学記念館がある。

 

この町には鉄道が通っていないため、駅は無い。なお、東日本旅客鉄道総武本線にある干潟駅(ひがたえき)は同じ市内だが、旭地区に属している。

 

椿の海は、いわば自然にできたダムで、海面とはある程度標高差があり、新川(刑部川)を掘削し溜まっていた水を太平洋に流すことによって干拓した。このため、新川が開削された時轟音が一里四方に響き渡ったという。また開発に反対があったというのは、元々九十九里平野の北東側はこの自然のダムによる水利に恵まれ安定した稲作地帯であり、干拓以前からの住民にとってはこの恵まれた水を奪われることになるからである。